芦毛の怪物オグリキャップとは同期のライバルだったスーパークリークが、惜しまれつつ、この世を去った。
日高スタリオンステーションの関係者によると、今年の夏過ぎから下痢気味になるなど体調を崩すことが多くなっていた。その後、一時は持ち直したが、29日の昼からひどく苦しむ症状を見せ始め、午後4時50分、治療の甲斐なく馬房で息を引き取ったという。
「オグリキャップが亡くなった直後に体調がガクッと落ちて、“オグリに連れて行かれちゃうのかな”と話していたのですが、その後は体調も持ち直していました。オグリのお別れ会(7月29日)には、こちらで繋養しているヤエノムテキと連名で供花したばかりで、オグリの分まで長生きしてほしかったのですが…」と、事務局の荻伏ブリーディングシステムの関係者も肩を落とした。
スーパークリークは父ノーアテンション、母ナイスデイで、85年5月27日に北海道・門別町(現日高町)の柏台牧場で誕生。故・伊藤修司調教師(栗東)の管理で2歳12月にデビューした。晩成血統で能力の開花には時間を要したが、3歳秋になって徐々に力をつけ、滑り込みで出走した菊花賞を優勝。武豊騎手の記念すべきGI初勝利で、クラシック最年少制覇(19歳7カ月23日)となった。
その後は古馬の王道で活躍。オグリ、イナリワンらと激闘を繰り広げ、90年末に引退した。通算成績は16戦8勝。重賞は88年菊花賞、89年天皇賞・秋、90年天皇賞・春のGI3勝を含む6勝を挙げた。種牡馬としては活躍馬を出せなかったが、母の父としてはブルーショットガン(阪急杯)を出している。種付けはここ2年なかったが、熱心なファンも多く、誕生日には花も届いていた。詳しい死因は、30日に調べるが、相次ぐ名馬の死は惜しまれる。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100830-00000510-sanspo-horse
オグリキャップが寂しくて誘いにきたのかなあ。クリークは日高SS繁用だったので、実は見に行ってるんですよね。トロットサンダーと同じ繁用先。タテガミを売ってたりして、頑張ってたんですが。優等生という感じらしく、ゆったりとしていたのが印象的でした。しかし豊は悲しいだろうなあ。3強も後はイナリワンだけか。スーパークリーク号のご冥福を謹んでお祈りいたします。

